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横浜市歌をご存知ですか。
1909年(明治42年)7月1日に行われた、横浜港の開港50周年記念祝祭にて披露されて以来、市民に歌い継がれているものです。
作詞は森林太郎(森鴎外)、作曲は、当時東京音楽大学助教授だった南能衛(よしえ)。この曲は、南が作った旋律の上に、森が歌詞を作り完成させたものです。

現在も市立の小学校では、校歌とともに歌唱指導され、開港記念日(6月2日)や卒業式、市大会などの行事では演奏・斉唱されています。

横浜市歌
わが日の本は島国よ(わがひのもとはしまぐによ)
朝日かがよう海に(あさひかがよううみに)
連りそばだつ島々なれば(つらなりそばだつしまじまなれば)
あらゆる国より舟こそ通え(あらゆるくによりふねこそかよえ)

されば港の数多かれど(さればみなとのかずおおかれど)
この横浜にまさるあらめや(このよこはまにまさるあらめや)
むかし思えば とま屋の煙(むかしおもえばとまやのけむり)
ちらりほらりと立てりしところ(ちらりほらりとたてりしところ)

今はもも舟もも千舟(いまはももふねももちふね)
泊るところぞ見よや(とまるところぞみよや)
果なく栄えて行くらんみ代を(はてなくさかえてゆくらんみよを)
飾る宝も入りくる港(かざるたからもいりくるみなと)

百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で作詞した森鴎外について、見てみましょう。

森 鷗外(もりおうがい、文久2年1月19日(1862年2月17日)-大正11年(1922年)7月9日)は、日本の小説家、評論家、翻訳家、医学者、軍医、官僚。
第二次世界大戦以降、夏目漱石と並ぶ文豪と称されている。
本名、林太郎(りんたろう)。石見国津和野(現・島根県津和野町)出身。東京帝国大学医学部卒。
大学卒業後、陸軍軍医になり、官費留学生としてドイツで4年過ごした。

帰国後、訳詩編「於母影」、小説「舞姫」、翻訳「即興詩人」を発表し、また自ら文芸雑誌「しがらみ草紙」を創刊して文筆活動に入った。

その後、軍医総監となり、一時期創作活動から遠ざかったが、「スバル」創刊後に「ヰタ・セクスアリス」「雁」などを執筆。
乃木希典の殉死に影響されて「興津弥五右衛門の遺書」発表後は、「阿部一族」「高瀬舟」などの歴史小説、史伝「渋江抽斎」を書いた。なお、帝室博物館(現東京国立博物館)総長や帝国美術院(現日本芸術院)初代院長なども歴任している。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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